1945年7月1日から2日にかけての空襲は、市街地を対象にして焼夷弾を使用した無差別爆撃であり、約2000人が亡くなった。「この世界の片隅に」では、朝日遊郭をはじめとして呉市市街地全体が被害にあったことが描かれているが、和庄地区も甚大な被害を被った。和庄地区では、急こう配の地形を利用して、数百人を収容できる防空壕が作られていたが、焼夷弾による火災で巨大な防空壕の中には、ひとつの防空壕で500名以上の市民が窒息死したものもあった。
和庄公園の空襲地蔵は、1963年、これらの防空壕が埋められた際に建立された。